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2009/05/22

2度目のトルコ

5月17日から23日までの6日間、イスタンブールへ出掛けました。旅行ではなく仕事です。残念ながら日中は仕事なのであまり出歩けなかったのですが、仕事が終った後に多少は出歩いてきました。



現地では60名ほどの人が出席する会議にでました。ロンドンからは一緒にロシア人、ドイツ人、イギリス人、中国人が参加します。飛行機は各自が予約したので別々に現地に入ります。私はロシア人とヒースロー空港待ち合わせです。利用したのはブリティッシュ・エアウェイズ。朝7時発です。その時間の週末はピカデリー線が動いていないので空港に行くにはヒースロー・エキスプレスしかありません。友達の貧乏なロシア人は2時間かかる路線バスで行くと言っていましたが流石にそれは勘弁。エキスプレスに乗ります。4時過ぎに家をでてタクシーを拾い駅へ。始発のヒースロー・エキスプレスは5時10分です。流石にまだ暗いです。

基本は毎日9時から午後4時まで会議。その後で観光に出掛けます。しかし初日の時点で確認したがやはり非日本人と行動するといろいろといらつく。地下鉄やトラムがあるのにその道を歩くのは理解できないし、施設に入らないのも理解できない。金銭感覚の違いか。小銭くらい使おうよ。なるべく一人で行動します。

こちらはガラタ塔。然程高くはないけど歴史のある塔です。

年末に来た際に主要なところは見てあるので今回は有名観光地ではない辺を歩きます。こちらは街並。イスタンブールは一千万以上の人口がいるので人が沢山います。

ショッピング・センターがあるようなので地下鉄で行ったり、ブランド店が集るエリアへ行ったり。バザーを見ます。
こちらはスレイマニエ・ジャミイ。モスクです。残念ながら修理中。

こちらはスパイス・マーケット。メインのバザーの近くです。観光客だらけなので買物は大変。値段があってないような世界ですから。

こちらはトルコのお菓子、ロクム。結構美味しいです。

イスタンブールはヨーロッパとアジアの境界です。間を隔てているところはボスフォラス海峡と呼ばています。向うにはガラタ塔。

最終日には飛行機に乗るまえにドルマバフチェ宮殿へ。

日本人が珍しいようで、結構声を掛けてきます。子供でも結構英語を喋ってきます。

手前はドネル・ケバブ。櫛に差さった大きな肉を回しながら焼き、それを削ぎおとすイメージどおりの料理です。奥はスープ。中身は全く想像できない。

料理は大体10リラ、600円だすと肉が付いた全うなのが、5リラだと手をつけられない位不味いのがでてきます。全体的にトルコ料理はレベルが高いです。

2009/01/03

トルコから帰国

ロビーに10時集合。帰国です。イスタンブールにあるアタチュルク国際空港へ向かいます。駅の前を通ります。イスタンブールの駅はパリからやって来るオリエント急行の終着駅だったそうです。当時の名士が泊まったホテルは現在改装中でそのうち博物館になる予定。

空港ではベリュカンさんとお別れ。大変日本語が達者な人で大変説明が分かりやすかった。



ヒースロー着は午後3時。バスで帰ります。たったの8ポンド、安いものです。自宅着は6時。お疲れ様でした。疲れた。

2009/01/02

イスタンブール観光

イスタンブール市内観光。ホテルを9時出発。旧市街地を周ります。



まずはグランド・バザールへ。観光客がお土産を買いに来る所です。それはどう考えてもぼったくりの世界なわけで。こんなところで買う訳にはいかない。一時間の自由時間はバザールの中を見学します。途中で会ったサウナ夫婦にどうですか?カモられてますか?と聞いたら冷やかし冷やかしと言っていた。中々まともな人のようだ。でも良いパパ一家は子供の帽子とか数品買っていた。お疲れ様です。我が家はカッパドキアで買った6個セットのグラスがどのくらいで売られているかをチェック。よく分からないがバザール内のほうが高い目だ。でも値切ったらどうなるか分からないからな。

次はブルー・モスクへ。正式名称はスルタン・アフメット・ジャミイ。オスマントルコ帝国第14代皇帝によって1609年から1616年にかけて建造されたモスク。イスラム教の教会です。無料で入れますが、現在も使われているので観光客は脇から。

今日は金曜日ですので一週間で最も重要な礼拝が11:30より行われるそうでその前に入ります。現在祈っている人はその時間に仕事か何かで祈れない人達。

内部に貼ってあるタイルが青なので外国人はブルー・モスクと呼ぶそうです。通常4本の尖塔(ミナレット)をモスクは持ちますがここだけは世界で唯一6本だそうです。内部はイズミックタイルが綺麗です。というか内部でかい。

大きすぎ。

次は隣にあるアヤソフィアに向かいます。隣と行ってもこれだけ大きい建物だと結構歩く。外から見ると普通のモスクですね。

1054年にキリスト教がカトリックと、ギリシア正教会に別れた舞台です。西暦360年にローマ皇帝のコンスタンティヌス2世によって建造。その後、壊されたりして結構大変だった模様。1453年に東ローマ帝国がオスマン・トルコに征服され首都のコンスタンチノープルがイスタンブールと改名され、現在に至ります。確かこのへんの話は昔々、高校生頃のときに塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」を読んだのだが全然覚えてません。困ったものです。その後はイスラム教のモスクとして十字架が三日月になり、4本の尖塔が作られました。
アヤソフィアの一番のみどころはモザイク画です。オスマン・トルコによってモスクに変わったアヤソフィアは偶像崇拝を禁止するというイスラム教の教義に従い、大聖堂時代の内部のモザイク画は漆喰で塗り固められてしまいました。ということで漆喰を剥がすとその下からキリスト教時代のモザイク画が出てきます。
入る直前にある聖母子にアヤソフィアを献上するモザイク。

二階部分にあるモザイク画。

造った時の設計が間違っていたようで実はこの建物は少し曲がっています。窓も実は偽者の窓があったりします。建物が崩壊しないように(トルコは地震国ですから)、補強工事もしてます。

こちらもモザイク画

オスマン・トルコが征服した後はモスクとなってますので正面にはスルタンが祈るところがあります。イスラム教的には聖地メッカの場所(イスタンブールからは南東)が重要ですので祈るところは南東を向いています。それは建物の正面とは微妙にずれています。

真ん中の留め金の左右は十字架でした。

その後はバスに乗って昼食。シシケバブを食べます。シシは串に刺さったと言う意味です。

食事中に雨が。午後は雨の中トプカピ宮殿へ向かいます。ここはオスマン帝国の君主が居住した宮殿。こちらが入口の門。中は4つに分かれていて、それぞれ第一の庭、第二の庭・・・と呼ばれます。第三と第四が君主が歩いていたところです。

1時間半の自由行動です。まずはハーレムに入ります。ハーレムの語源はこの辺りだろうか、よく分かりません。

スルタンの謁見室。

第四の庭の外はすぐにボスフォラス海峡。そして城壁が見えます。

どういう経路で来たのか分からないが日本の伊万里焼。

雨が降っているため何ももってきていない人は苦労しています。我が家はなぜか合羽を持ってきていますので合羽を着ます。周りの日本人も引いていました。我が家はそういう旅に慣れていますから。こちらは第一の庭

外に出たときは既に夕方です。イスタンブールの城壁もライト・アップされています。全長は相当長いらしいけど。

その後は地下宮殿へ。もともとは貯水槽です。イスタンブールで二番目に大きいところです。柱は336本だそうです。柱は統一されていません。あるものはコリント式、あるものはなんとか式。要は貯水槽にしていたため形はどうでも良いとのこと。

今は観光地化されています。奥のほうの柱には横になったメドゥーサの首がありますが、まあ特別な意味はないらしい。

こちらのメドゥーサは逆さまになってます。

夜は自由行動。6時にホテルに戻る途中、何とか塔で降りたい人は降りて、それ以外はホテルへ。雨が降っていたので我が家はヒルトンへ帰ります。そして食料の調達に歩いて5分のタクシム広場へ。繁華街です。ここで地元のレストランへ突入。メニューは分からないから指で指して調理済みのを選べるところにしました。

トルコ人は良い人でぼってきません。それは田舎の日本人向けのお土産屋だけのようです。親日の人が多いって本当だな。前の人が取ったのと全く同じものを食べました。

奥さんは頑張って自分で指差して注文を決定。

二人でこれだけ食べて最後にチャイを飲んで27リラ。1600円ほど。イスタンブールの物価は高い。広場には焼き栗の屋台が出てます。買ってみました。広場を警備している警察も日本人?と聞いてきます。別に便宜を図ってくれるわけでもないが。他の人はダンスショーとか高級中華を食べたようですが、やはり地元に突入しないと駄目ですね。

2009/01/01

アンカラ経由で

今日はカッパドキアを出発し、バスでアンカラへ。その後は国内線でイスタンブールに戻ります。





昨晩はホテル到着後、部屋でテレビを見たら(高級ホテルゆえ日本のテレビが入る)、紅白が流れていた。ヨーロッパ時間に合わせていたようで11時に新年となる番組表。年の瀬ですなあ。ジェロの歌を初めて聴いた。お母さんの心から歌っての言葉と最後に泣いていたジェロに私ももらい泣き。知らない歌手ばかりで日本が遠いことにまた泣く。実際はそこまででもないけど。今日はバスでアンカラへ。トルコの首都です。途中でご来光を撮影するためにバスから降りる。いったいどこで年を越しているんだか。

外は-20度です。寒すぎでしょう。地吹雪で視界が全くないときもあり相当怖い。でも運転手もプロですからね。

3時間くらい乗ったらアンカラに着きました。アンカラは首都です。人口300万程度ですが元は農村だそうです。

トルコの国父アタチュルクの霊廟を見ます。多分、アンカラには見るものがあまりないと推測される。

正式にはムスタフ・ケマルという人のようです。ベリュカンさんによると彼は結婚はしたが子供はいなく、そのため死後、まさに神様扱いということで大変立派な人となっています。どこでもそうだが、国に歴史あり。

そういえばカッパドキアで見学した普通の人の家にも写真があったな。人が少ない。国が国威掲揚に作っただけあってすごくつまらない。次はアナトリア考古学博物館へ。

旧石器時代からローマ時代にかけての遺物を展示してます。特にヒッタイト時代のコレクションが素晴らしいです。

回廊の中央ホールに展示されたスフィンクスや牛、鹿などの動物をかたどった見事な石像やレリーフが鉄の帝国と呼ばれたヒッタイト時代です。


地母神です。


お昼ごはんはアンカラ中央駅の構内にある古いトルコが残っているレストランです。

トルコ料理は結構おいしいのではないかと。

アンカラ空港へ移動し国内線に乗ります。郵便局を見つけたので手紙を出します。イスタンブールからずっとバスの運転をしてきたセラミさんとはここでお別れ。彼はバスで6時間かけてイスタンブールに戻るそうです。ちなみにバスには晴れるようにと照る照る坊主が吊るしてあったのですが、このセラミ氏、照る照る坊主を何かの首吊りの処刑か何かと思ったらしく、はじめの数日は我々が何かその手の人たちかと疑っていたようです。国際交流は難しいわけですね。

4:00国内線に乗りイスタンブールへ。1時間のフライト。バスだと6時間かかるところを国内線で移動とは高級ツアー旅行ですな。イスタンブールのヒルトンへ帰ってきました。ベリュカンさんは飛んでイスタンブールとか言ってましたが、私は世代的に分かりませぬ。
イスタンブールのヒルトンは前回も泊まっているためそこでの晩ご飯はさけて今回は魚料理のレストランへ行きます。黒鯛を食べました。結構魚はおいしかった。

イスタンブールでは伸びるアイスが有名だそうで。