5時過ぎ起床。内陸部だけあって朝晩は寒い寒い。朝ごはん前に中央駅横のバス乗場へ行ってアウシュビッツ往復の切符を買います。この国では普通の人は英語を喋れないが、駅の人はさすがに喋れる。2人往復で1600円也。
発展途上国らしい素敵なバス。8:40出発、10:20着。ドイツ語でアウシュビッツ、ポーランド語でオシフィエンチムまでは50キロ程。
数週間前にアウシュビッツ強制収容所唯一の日本人ガイド、中谷さんにメールして案内をお願いしてあるので現地で合流。我々のほかには日本人が1人。40代前半くらいのおばはんです。東京から休暇を利用してアウシュビッツに来る40代・・・。普通じゃないな。とりあえずあまり関わらないようにしよう。
下は有名な働けば自由になるの看板。ベルリンにもありました。クラクフは内陸なので寒暖の差が激しく、霧が結構出るそうです。今日もクラクフからアウシュビッツまではずっと霧でした。到着して観光スタートした11時前もまだ霧です。雰囲気ばっちりですな。
第一印象は結構混んでる。観光地みたいに混んでます。前回ベルリン近くの強制収容所がほぼ無人だったからびっくり。
鉄条網。電気が走っていたそうです。右の建物とかに収容されていたらしい。冬はマイナス20度とか・・・。それは厳しい。
こちらは死の壁。銃殺に使われていたようです。
これらの木は収容者が植えたらしい。
基本は写真撮影可とはいえ、なかなか写真を撮る気になりませんな。ましてや運ばれてきた人が使っていた靴とかメガネとかバックの残りとかの写真は厳しいでしょう。
結構ユダヤ人の人が来てます。見た目では分からないが、イスラエルの国旗を持ってきていたり、それらしい格好をしてます。
続きまして、アウシュビッツからバスで5分のところにあるアウシュビッツ第二収容所、ビルケナウに向かいます。この頃は霧もすっかり晴れてよい天気。
やはり、有名なのはこの建物でしょう。これってアウシュビッツではなくビルケナウにあったのね。この真ん中を通って電車が入ってきて、ユダヤ人が下ろされて一部はそのままガス室へ、一部は収容室へ。
広いねえ。でも中谷さん曰く、10万人が生活していた所らしい。それじゃあ、狭いな。
線路はビルケナウ内で終わってます。出口はないってことですね、恐ろしや。
ガス室で残っているところとか(大部分はドイツ軍撤退時に破壊)、収容所の中も見たがまあ、写真は止めたほうが無難かと。
続きまして、入口の建物の上から全体像を見ます。
広いですねえ。
観光地と思うくらいバス着てるがな。中谷さん曰く、ドイツ人やイスラエル人のほかにヨーロッパ中から来るそうです。年間100万人が来るらしい。
以上で終了。3時半のバスでクラクフに戻ります。帰りの飛行機は10時前なので余裕があるため、散歩をします。
駅に隣接するショッピング・モールで晩御飯。日本だとショッピング・モールは軽食中心ですが、ポーランドは違います。一番おしゃれな建物ですので、若者とお金持ちが集まってきます。
私はグラーシュを。グラーシュ自体は旨いが、この五穀米みたいな米がいまいち。ピクルスもいまいち。
煮込んで更に焼いた豚肉は結構旨い。そして主食はジャガイモと。
出発2時間前にクラクフに行ったらまだカウンターが開いてなかった。田舎の空港は直前でも大丈夫なようだ。
帰りは9:50発のライアン・エアーなり。
クラクフやその周辺の観光地としては岩塩採掘場やユダヤ人地区、シンドラーのリストの舞台となった場所などがありますが、一泊二日ではこんなものかと。2泊すれば全部周れますな。