2009/07/04

トーマス・カーライル


今日も大変に暑く最高気温は30度弱。家の構造の関係か体感ではもっと暑く感じます。家から散歩がてらバスに乗り5分くらいの所にあるトーマス・カーライルの家を見学に行ってきました。

どういう人なのかは知りません。ただ、家から最もと近いナショナル・トラストだというだけです。

チェルシーのど真ん中にあるこの家はビクトリア時代に建てられた家がそのまま残っていて当時の家がどのようなものかよく分かります。そうは言ってもビクトリア時代がどんな時代か全然知らないで、どうしようもないがな。

で、カーライルさんですが「雄弁は銀なり。沈黙は金なり。」とかの言葉を残した人で実際は文学家です。最後はどこかの大学の学長をしたらしいけど。このチェルシーの家には当時の有名作家、ディッケンズ、テニスンなどが来たりゲーテとの往復の書簡が残っています。まあそこまで有名人の名前が出れば私にも分かる。

となかなか立派な方ですが、ここはロンドンの住宅地の中にありまして、周りも同じような住宅で知らずに歩いていたら気づかずに通りすぎていたと思います。たまたま同じバスを降りた老夫婦も同じところへ向かうようだ。



で、早速入ります。会員証を見せた後、ボランティアの方と雑談。この手の雑談が最も大変。しかしながら先方も我々の英語のひどさに気づいたようでどちらから?と聞かれたので日本ですと答えておきました。

日本人と言ってみたところ、なにやら奥から資料を持ってきてくれます。この建物は夏目漱石が来たことがあるようです。それって100年以上前の話ですよね?と言ったらそうだと言っていたので本当のようです。資料の中に昔の千円札があったから(漱石が写っているから)持ってこようかと思ったけど。漱石がカーライル博物館について語った文章もあります。

以下、漱石著「カーライル博物館」の抜粋

余は今この四角な家の石階の上に立って鬼の面のノッカーをコツコツと敲(たた)く。しばらくすると内から五十恰好(かっこう)の肥った婆さんが出て来て御這入(おはい)りと云う。最初から見物人と思っているらしい。婆さんはやがて名簿のようなものを出して御名前をと云う。余は倫敦滞留中四たびこの家に入り四たびこの名簿に余が名を記録した覚えがある。この時は実に余の名の記入(きにゅう)初(はじめ)であった。なるべく丁寧に書くつもりであったが例に因(よ)ってはなはだ見苦しい字が出来上った。前の方を繰りひろげて見ると日本人の姓名は一人もない。して見ると日本人でここへ来たのは余が始めてだなと下らぬ事が嬉しく感ぜられる。婆さんがこちらへと云うから左手の戸をあけて町に向いた部屋に這入る。

私も名簿に名前書いたけど時々日本人も訪れてました。屋根裏部屋にはカーライル氏の著書の日本語訳もありました。案内のおっさん曰く、最近はまったく読まれていなくて昔の作家になってしまったと言っていました。