2008/03/24

2日目 ミラノ観光

今日は一日中ミラノ観光です。天候晴れ。しかしながらいまだにイースターの影響か閉まっているお店が多いです。



地下鉄に乗ってサンタン・ブロージョ聖堂(Sant' Ambrogio)へ。えーと、観光ガイドによれば、大司教アンブロージョを祀る教会で・・・良く分からないが、大変立派でした。

ミラノの街並み。ここで間違えて反対行きのバスに乗ってしまいました(きちんと英語が喋れて、かつまともそうな人に聞いたのに・・・)。外国では良くあることなのでここは反対行きにしばらく乗り20分ほど行き郊外の住宅地を見てから戻ります。

戻ってきたところはスカラ座(Teatro alla Scala)と呼ばれるオペラを行うところです。内部は見学不可だった。ここから辺りはドゥオーモから近く、ミラノの中心です。

ミラノの町は地下鉄、バスのほかにトラムも走っています。こんなぼろいのが走っていました。大丈夫かこれは。

エマニュエルII世のガッレリア(Galleria Vittorio Emanuele II)。ガッレリアってなんでしょうかね?商店街と言うところでしょうか。ドゥオーモの横にありまして、中にはブランド・ショップが沢山入っていました。日本人が買い物している姿も見えます。

ガッレリア入り口。立派ですなあ。
次にドゥオーモに登ります。階段で上る場合は5ユーロ、エレベータの場合は7ユーロ。我が家は7ユーロ払って上ります。

良い景色ですねえ。ミラノの街を一望とまではいきませんでしたが、なかなかの眺めです。ここで日本人老夫婦に話しかけて写真を撮ってもらいました。なんでもJALパックで来ていて、今日が最終日でこの後ミラノから帰るが、ローマからナポリからヴェネチアから主要都市は殆ど回ったらしい。お年寄りは元気ですね。時差ぼけはないのか。

ドゥオーモは細部まで凝った作りになっています。14,15世紀に作られたらしい。昔は予算があったのね。
ミラノに来る前に、ミラノに住んでいる日本人のブログであるお店のマロン・グラッセがおいしいと言う情報を聞いていましたのでそちらを探し出し(ドゥオーモのすぐ近くだった)、マロングラッセを手に入れました。日本人の観光客が相当来るようで「日本に送るかとか?箱詰めにするかとか?」とか聞かれました(英語で)。下はお店の外観です。

こちらがマロン・グラッセとその他のチョコレート。値段は覚えていないがまあ普通。チョコレートは嫌いではありませんが、正直、お煎餅が食べたいのう。

続きまして、トラムに乗り、サンテウストルジョ教会(Basilica di Sant' Eustorgio)に来ました。友達のアドバイスの通り、トラムではまったく検札が行われていない模様。みんな金払っているのか?

イースターの直後のためでしょう、花が置いてあります。


疲れてきたのでここらでジェラートでも。ミラノは街にジェラート屋があります。ロンドンでは見たことがない。ロンドンではアイスはスーパーで箱で買うのが普通です。

立派なトラムが走っています。ぼろだけではないようです。

サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会(San Lorenzo Maggiore)

ロレンツォ・マッジョーレ教会正面の列柱は古代ローマ時代のものらしい。4-5世紀に出来たそうで。

こちらはスフォルツァ城(Castello Sforzesco)。この中は博物館がありましてミケランジェロの未完の作品があります。残念ながら月曜日は休館日なので見られませんでした。このお城の後ろは広場に鳴っていましてミラノ市民が休みの日にはやってくるそうです。前橋公園みたいなものです。
ミラノの見所はまだありますが、まあこんなものでしょう。結構頑張りました。大体我が家は絵画に詳しいわけではないので博物館の類は見ても良く分かりません(それを言っちゃあおしまいだ)。
この後は晩御飯を食べました。イースタなので殆どのお店が閉まっていまして、お店を探すのが大変です。適当なレストランでピザとパスタを食べました。それと飲み物。合計21.4ユーロです。3千300円というところ。ここで50ユーロ紙幣と2ユーロ硬貨をだします。引き算くらいは自分で出来ますのでお釣りは30ユーロと0.6ユーロと分かる。戻ってきたお釣りは大分小銭が多く、人目で何かが違うことが分かる。とりあえず、詳細をチェック。
こいつら・・・
50ユーロからのお釣りを返してきやがった。しかもご丁寧に更に10ユーロ紙幣が1枚足りねえ。18.6ユーロしか返ってきてねえ。ここで私が思ったことは
�� イタリア人は頭が悪いので引き算が出来ない。
2 イタリア人は頭が悪いので10ユーロ紙幣が分からない。
とりあえず、10ユーロ紙幣が足りないことは言いました。小銭は面倒なので文句を言いませんでした。今回はイタリア人は仕方ねえなあと思ったのですが、これが後から考えるとイタリア人と日本人の間で展開される高度な「ぼったくり」作戦とそれとの戦いの序章だったのです(こういう戦いって疲れるからいやなんだよね)。