2009/01/31

することはてんこ盛りです。

unscentedはどうやらEMアルゴリズムが使えないらしい。使えないこともないけど近似の近似だから誤差を払えないみたい。ということでこちらは普通に尤度の最大化で対応。まあ、仕方ないですな。

イスラエル人の友人参上。会話時間は1時間ほど。

1つ目の論文にかからなきゃ。

備忘録

拡張カルマンのスムーザーについて
1. フィルターと同様に2次モーメントを仮定すれば解ける。Byron M. Yu Krishna V. Shenoy Maneesh Sahani
しかし、余り正確ではない。更にEMに用いる場合のスムーザーとしては妥当ではない。時点毎の2次モーメントがその時のxに依存するため一定ではない。(非線形性がパラメトライズされていれば大丈夫では?所詮パラメータ表示されているだけだし、追記複雑な関数のスムーザーが計算できないからだ)。
よってEMはできない。適当な工夫が必要Radical Basis approach.

無香カルマン
WanはMステップの最適化を数値的に行っている。

2009/01/29

次のカルマン

線形のカルマンフィルターだけでは足らないようで、拡張カルマン、またはアンセンテッド・カルマンを勉強することに。忙しいなあ。

今朝バッキンガム宮殿の前を歩いていたらチャールズ還暦殿下が出てきた。公務が忙しいようだ。こちらではバイクが公道に出てきて車を止めて王族の車を通すシステム。バイクは車を止めて王族の車を通したらすぐに次の交差点に向かう。計5台くらいで任務を遂行していた。レベル高いな。昔、銀座で我らが徳仁親王殿下をお見かけしたことがあるが(ワタクシとしては拝謁だが・・・)、その時は信号が全て赤になり、交差点に立っていた私の周辺を桜田門のバッジがうめ始め、何事かと思ったら殿下のお車が通られた。それと比べるとこちらは質素だな。

午後はボランティア。5歳の言っていることが理解できない・・・。行きと帰りの電車で勉強していたらアンセンテッドは理解した。簡単じゃないか。その代わり推計するプロセスをどう仮定するかを悩み始めた。

細かい業務連絡のメールあり。日本との肩書きの違いを説明。

2009/01/28

特に

特に書くことがないから書いてませんが、生きていますので。

お昼はパニーニを食べました。

9時半起床。10時半登校。推計を淡々と行い、グラフの作成。大体終わった。

2009/01/27

イスラエルから世界は

イスラエル人の友達が学校復帰。といっても何があったわけでもなく要は会社に行っていたから(彼はパートタイムの学生)。

いやー、予備役で招集されたかと思ったよ。と言ったらその可能性はあったけどなんとかなったらしい。30過ぎで予備役に招集されるとはイスラエルの人口の多さが窺える。

業務連絡に伴う作業を行ったら論文が17ページに増えたとさ・・・

2009/01/26

怠惰な日曜

昼に起床。本を読んで一日終了。

2009/01/25

週末は地下鉄が止まる

11時登校。週末につき電車は運休。バスの中で大学院時代の友人を発見。まさかこんなところでと思って声は掛けなかったが、間違いなく彼だろう。電力会社でロンドンとはなんだろう。出張には見えなかったな。駐在か。

土曜日のオフィスは人が少ないのだが、わがオフィスはやはり来ていた。午前と午後をあわせて推定を行う。初期値の設定次第で推定値がどんどん変わるのは何とかしなくては。今日は文章は1つも書いてない。

5時半退去。ジャパンセンターで買い物して撤収。

2009/01/23

郊外は寒い

9時過ぎ登校。再度の業務連絡を請う旨の連絡あり。日本との時差を考えたら無理なので来週にまわす。

10時から指導教官と話し合い。1時間20分ほど話したところで終了。まだ話すことあるのに・・・。しかしまあ、英語がいまいちで話す中身は沢山あれどもどう喋るかを考えていなかったからなんか変な説明になってしまった。すみませんね。マルコフ連鎖のマルチンゲール表現についての疑問解消。話し合いの中身をtexにして終了。

午後3時には電車に乗って郊外へ。ボランティアである。ボールを投げて、障害物の上を通して・・・ってそんな英語分からないよ。

ジムはこう言った

7時起床、8:30登校。9時からの業務連絡電話に備えて電車で出勤。通勤時間帯の電車は大混雑。東京ほどではないが東京よりも人々が不慣れなため混雑度はひどい。もっと中に詰めろよ。改札をとめるな。

業務連絡終了の後はイントロの作成にかかる。大分自分の研究の位置づけが明確になってきた。事の起こりは指導教官から与えられた数式をとくことだったので立ち位置が不明だった。
昼にメールで一部学生の講堂占拠が収束したことを知る。警察まで動員してお疲れ様でした。

午後も午前の続き。机上には大量の文献が広がり書き物をするスペースがない。ジム・ロジャース御大がBBCのインタビューで英国は終わった発言をしていて友達(非英国人)と爆笑。英国人曰く、為替が安いから外部に需要があれば輸出がなんとかとかだが、輸出するものないだろうと言うと揉めるので、言わず。雑談以上にはならず。

13ページ

2009/01/22

朋スイスより来たる有り、亦た・・・楽しくない

8時起床、10時登校。とりあえず、オバマ氏の就任演説をBBCにて拝聴。難しい英語ですなあ。フォーマルな英語とインフォーマルな英語の溝は深く険しい。英語といえば某英国人がコピー機の前で操作が分からず怒り狂っているので以下のように教えてあげた。

複数枚のコピー中にコピー機が詰まった場合、コピー機はつまり修復後にこれまでのコピー枚数分だけ紙を送ってしまうので一旦キャンセルするんだと言ったところ一回で通じました。昔はそんな複雑な英語は言えなかったのに私も上達したものだ。

昼前にいよっという感じでL氏登場。お前の所属大学はズーリックだろうに。ズーリックってどこだっけ?チューリッヒですね。博士課程がほぼ終了して職探しにロンドンに来たようだ。大学への就職も楽じゃなさげ。と昼飯を一緒に食べながら雑談。今日来て今日帰るって強行日程ですな。

今日は行きも帰りも徒歩。健康な生活に戻りつつあります。


午後は1つ目の論文について色々考える。問題山積みだな。そして相変わらずのデータ、イントロ、結論について記述。時間がかかる。なぜなら私がそもそもの問題意識と世の中について分かっていないからだ。

2009/01/21

激動の世界情勢

10時登校。久しぶりの徒歩。

午前は昨日発見された推定と理論に乖離があることをどう埋めるか考える。これは指導教官に下駄を預けたい。金曜日に会うこととなった。

お昼ご飯を食べに学食のある建物へ。入口で学生証の提示を求められる。どうやら先週以来教室の一つを占拠をし続けている学生達と一部の学生が衝突したらしい。さらに学生以外、おそらくプロ市民が参加して反イスラエルの合唱をしているらしい。プロ市民が出動とはどの国も同じだな。

更に学生は一部の教授の抱きこみ、学長に反イスラエルの声明を出せと公開書面で申し込んだ模様。学長は紛争で影響を受けた学生(主にパレスチナ出身の学生を指すと思われ)に学費支払の延長を受け付ける旨を言明していた。さすがに大学自体が彼らにお金の工面はしないようだ。それは奨学金の増額で対応と言っていた。まあ、落とし所を心得てますな。

午後は教科書を熟読。SHとELの本を読む。マルコフ連鎖のマルチンゲール分解がよく分からないな。生成作用素はN×N行列だから・・・でも、確率変数は1次元でも良いわけで・・・次元の計算が合わない。

2009/01/20

試しにグラフを作ってみる

最近は朝起きられなくなっている。9時半起床10時半登校。午前はHMMのEMアルゴリズムについて推定の初期値をループさせる箇所を付け足してプログラムは作成終了。データの時期、系列は指導教官と話し合って決めるため、サンプルとしてグラフを2,3作成してとりあえず終了。教官にメールで報告。近いうちに会う予定。

J氏が部屋に新年の挨拶がてら来訪。近況を報告しあう。イギリス経済の先は暗い。

午後はデータについて記述。終わる気配なし。

2009/01/19

日曜日はお休みです

日曜日につき全休。セントジェームスパークを散歩し、水鳥とリスに餌付けする。病み上がりなのでのんびり。

服を買ってみた

散歩の帰りに服を買ってみました。

この国では私はMサイズのようです。日本ではXLだがな。


2009/01/18

中耳炎になりました

昨晩は深夜まで夜更かし。午後9時くらいに少し寝たら寝られずにベッドに入ったのが午前2時過ぎ。起床は12時前。

奥さんが耳が痛いとのことで、ここ数週間体調が宜しくなかったこともあり病院へ行くことを即断。日本人病院の診察時間を調査する。土曜日ということで平日より状況は悪いが日曜日よりは状況が良い。いくつかの病院は診察をしている模様。既に三回ほどお世話になったことがある病院へ電話、診察予約。ご飯を速攻で終わらせ、タクシーで病院へ。

中耳炎と診察されました。まあ、よく聞く言葉ではある。痛くなってからすぐに行ったし薬ももらったし大丈夫でしょう。

その後は学校へ。昨晩深夜に修正した文章をtexに。この手の作業は終わりが見えない。さらにプログラムの修正とグラフの作成。そろそろ終わらせたい。

7時からは今月にPh.D.が終了した学生のお祝い会。中国人らしくカラオケを所望したようだ。東京ラブストーリーって偉大だ。中国人はみんな知っていた。

マクドナルドにて

日曜日ですので、暇つぶしに近所の公園へ散歩へ。古くなったパンを使って水鳥の餌付け、落花生を使ってリスの餌付けをしながら歩いた後、小腹が空いたので帰り道にマクドナルドでチキン・ナゲットを購入。

このとき、支払後、出来上がるまでカウンター脇で待っていたときですが、次のお客のインド人がポテトを単品で注文していました。

出来上がったポテトを受け取るや否や、袋を開けて中身の確認、そして一言

「満杯じゃないから、足してくれ」

いやー、日本では考えられない発言ですね。お店のお姉さんも大したもので
「いや、満杯よ」

と普通に返してました。更にインド人がノーノーノーと言ったので最終的にはポテトを更に足してました。

外国とは恐ろしいところです。自己主張しないといけませんね。でも私は買ったチキンナゲットの個数を確認してないし、ましてや小さいぞとも言えません。


2009/01/17

元気な学生が沢山います

咳は大分治り、咽喉の痛みも引き、ほぼ復調。9時起床。10時半登校。

Viterbiアルゴリズムのコードを作成しtexに落とす。要復習だがバージョン0.1としてはまあまあの出来。外では学生が反イスラエルの決起集会。五月蝿い。集中できない。昼食ではパレスチナ情勢について友達と意見交換。本職の責務は混沌とする世界情勢を解決することでも理解を深めることでもないので昼飯の話題以上にはならず。結局彼らは午後に教室の1つを占拠し、授業を中断に追い込んだ模様。学長からのメールが転送されたが熟慮せずにBINへ。

午後は昨晩作成した既存研究のリストとその簡略化した中身をtexに。そして午前の続き。

2009/01/16

自宅で待機

昨晩も咳がひどく寝付くまでには多大な時間を要する。よって本日は自宅待機。そろそろ治さないと週末の予定をこなせない。明日はロンドン近郊の日本人学生間で飲み会が開催される予定。参加予定なし。明後日は今月にPh.D.を取得予定の学生を祝うパーティ。出席予定。

午前は論文の第一章を作成するために他人の論文を読む。当該分野における自分の論文の立ち位置を記述するためには、同分野における他の論文を理解することが必須。うぜえ・・・、結構時間かかりそう。

午後も同作業を継続、さらにデータについての記述を始める。実証論文はこれだから・・・こちらも相当うぜえ・・・。数日かかると思われる。

考察対象の問題を記述。同問題に対する他の論文の纏め。自分のアプローチと元になる論文。2つ目と3つ目がかぶらないことが今回の作業量を増やしているなあ・・・

2009/01/15

まだ咳が

咳が治らない。午前中にもう一眠りすれば良かった。

10時登校。午前中にHMMの修正と動作確認が終了。どういったグラフを作成するかを暫し思料。どう考えても平滑化した状態だろうとの結論でそれはすなわちVeterbiアルゴリズムの実装となる。明日以降に。

午後は図書館に籠もる。マルコフ・スイッチングと隠れマルコフの差異が理解できない。前者は後者の真部分集合だと思うのだが確証がない。ハミルトン御大のメモを読むも大変微妙な言い回し。計量経済の人は御大に従っている様だ。さらに図書館で文章を練る。参考文献を増やさないとな。咳が出て周りに迷惑をかけるため2時間ほどで撤収。そろそろ一章を作成しよう。

10ページ

2009/01/14

FRB議長はかく語りき

昨晩の咽喉の痛みは少し下に動いたようで咳が止まらず。寝られず。寝ても咳で目が覚める展開。明け方に少し治まり熟睡。起床10時。11時登校。

午前中は昨晩見つけたバグの修正。初期値をループさせて計算を繰り返す箇所を加筆。カルマン・フィルターのプログラムは作成終了、次はデータをプログラムにインプットするように処理、ここは後日行う予定。

昼過ぎにバーナンキFRB議長が本学で講演。昨日チケットを取ろうとしたら売切れ。学期初日の朝8時に発売開始で9時過ぎに売り切れとはどこかの芸能人並。ウェブの生中継を見る。音声状態極めて悪し。途中で打ち切り友達と学食へ。炒め物とはどこの国発祥かと問われ、無知をさらけだす。

午後はHMMのプログラムを修正。まずはコードの理解、簡略化を試みる。さて、いつ終わるかと。

追記: 大体分かったけど、簡単なことを複雑に書かれてちょっと困惑。他人のプログラムを読むことはルールを理解するうえで大変役に立つことだけれども、それはきちんとした人が書いたものだけ。ビューティフルコード読まなきゃ。

2009/01/13

タイ料理はカレーです

昨日作成したファイルを本体に付け足し、文章と数式を微調整。それぞれの手法における最初の段落、すなわち一般的な事実を文章で説明する箇所以外はほぼ終了。Veterbiの説明は後日とする。

昼食は久しぶりにN君とタイ料理へ参る。その後二時間ほど漫談。

午後はカルマン・フィルタのコードを修正。論文の形に合わせて記述。定数倍から線形への拡張のみなので容易だが何度も見直し作業を繰り返し疲労する。最終形は明日以降に持ち越し。

指導教官とエレベータ内で遭遇するも、研究の話題はなし。

喉の痛みのみから鼻炎らしき状態へと変化してきた。咳も多発。帰りは蜜柑を2袋ほど調達し、ビタミンの補給。

現在10ページ。

2009/01/12

自宅で待機

日曜日、7時起床。発熱はないがここ数日間の咽頭部の痛みが増したため、自宅待機。ビタミンC(蜜柑です)を大量摂取し、様子をみる。

マルコフ連鎖EMアルゴリズムのEとMのプロセスまでtexにて記述。Baum-Welchアルゴリズムは先日書き写してあるため、平仄を取りつつ加筆・修正を行う。Viterbiアルゴリズムは理解したが、記述は一旦脇に置き、明日からはプログラミングの記述、調整に入る。

来週から新学期。さすがに第一週に協議はないと思う。ほぼ当初の予定通りに初回の協議で文章と計算結果を提出できそう。

2009/01/11

私が知っている真理

私が発見した論文に限らず文章を書く事に関する真理の一つは、文章は推敲を重ねることで読みやすく体系的に整っていくという事である。

5ページ前と定義が微妙に異なる書き方をしている。小節の構造が1つ前の小節と異なるのは駄目な文章の典型であり、木下是雄先生の教え手に反する。

つまり、こういうことです。始めに1.EMの一般的定義を述べた後、2.HMMを仮定した場合の話をする。3.次に拡散構造を仮定した話をする。1と2,3は親子構造なのだから1から2、若しくは1から3へと無駄なく理解できる文章が必要だし、2と3は兄弟構造なのだから対比的に読める書き方が望ましい。

すみません。頑張ります。 

今日はマルコフの最尤法を勉強、終わらず。現在8ページ。

午後3時、小雪が降る中、撤収。

2009/01/10

難儀だな

今日はカルマン・フィルターについての文章を加筆。ああ、教科書に書いてあることを論文に写す、しかも自分はとっくに理解しているのをって純粋に難行苦行にしか思えない。しかしながら、教科書の一般的に成り立つ理論を自分の抱えている問題にあわせて特殊なケースに書き換えるとは違和感を覚える。

戯言はおいておき、カルマン・フィルターの予測誤差分解を用いた対数尤度の導出、その推定についてざっくりと記述。日本語で名詞を書くと自分でも分からない。小節くらいの長さにはなるから後ほど全体と整合性をとるとして、中身はほぼ終了。

隠れマルコフは全体の概要が掴めた。ここから今回はまずTexに落とし込み、その後にコードの校閲を行うという形にする。再来週には指導教官に会うから文章の体裁は整えておかないとな。時間がぱねえ。

EM一般論は文章を練ったら、全体が短くなってしまった。増やさないと。目の前に印刷したプログラミング・コードに手をつける暇がない。

奥さんの体調が悪いので、スーパーへ参る。

2009/01/09

新しい分野の理解は大変

Baum-Welchの実装を勉強中。Viterbiアルゴリズムがどう絡むのか、しっくり来ない。Baum-Welchの中ではforward-backwardだけで良いのだと思うが。Viterbiアルゴリズムってスムーザーだよな?でもスムーザーはBaum-Welchの中で使うはずだし・・・

うう、もう少し勉強か。

2009/01/08

HMMを勉強せよ

隠れマルコフ勉強中。連続モデルは難しすぎることが判明。Demboってあの大偏差原理のDemboかよ。死亡フラグが見える。ここは離散で逃げましょう。どうせカルマンも離散じゃないと絶対連続な測度作れないしな。離散でも十分きついぞ。Baum-Welchって何だ?

2009/01/07

寒い

今週のロンドンは寒い。

最高気温は数度、最低は氷点下です。



2009/01/06

間違い発覚

探せばあるものでネットに落ちていた。暇な学者さんありがとう。現在確認作業中。これをコードにしたら終了。

といって、すぐにかかれば良いものを後でする。こうやって後々問題が発生すること多し。

カルマンは終わったけど(まだコード化してないが)、マルコフ過程の推定に使うアルゴリズム違うじゃん。マルコフじゃない場合だ・・・。結構ショック。隠れマルコフを使わないと駄目だ。回復まで三週間は必要。作業量多し。

さっさと始動しろよ

まだトルコ旅行記が終わらないぞ。9日間の旅行記作成は体力が必要だ。メモがあるから記憶はあるけど一つ一つの遺跡を調べはじめたら長い。

カルマン・フィルーは現在持っている資料では足りないことが確認されました。定数項バージョンどこかに落ちてないかな。

2009/01/05

年も明けたし始動

4日から学校へ。休み中に作成した文章をTexに落とす。全然進んでないや。英語書けない。

2009/01/03

トルコから帰国

ロビーに10時集合。帰国です。イスタンブールにあるアタチュルク国際空港へ向かいます。駅の前を通ります。イスタンブールの駅はパリからやって来るオリエント急行の終着駅だったそうです。当時の名士が泊まったホテルは現在改装中でそのうち博物館になる予定。

空港ではベリュカンさんとお別れ。大変日本語が達者な人で大変説明が分かりやすかった。



ヒースロー着は午後3時。バスで帰ります。たったの8ポンド、安いものです。自宅着は6時。お疲れ様でした。疲れた。

2009/01/02

イスタンブール観光

イスタンブール市内観光。ホテルを9時出発。旧市街地を周ります。



まずはグランド・バザールへ。観光客がお土産を買いに来る所です。それはどう考えてもぼったくりの世界なわけで。こんなところで買う訳にはいかない。一時間の自由時間はバザールの中を見学します。途中で会ったサウナ夫婦にどうですか?カモられてますか?と聞いたら冷やかし冷やかしと言っていた。中々まともな人のようだ。でも良いパパ一家は子供の帽子とか数品買っていた。お疲れ様です。我が家はカッパドキアで買った6個セットのグラスがどのくらいで売られているかをチェック。よく分からないがバザール内のほうが高い目だ。でも値切ったらどうなるか分からないからな。

次はブルー・モスクへ。正式名称はスルタン・アフメット・ジャミイ。オスマントルコ帝国第14代皇帝によって1609年から1616年にかけて建造されたモスク。イスラム教の教会です。無料で入れますが、現在も使われているので観光客は脇から。

今日は金曜日ですので一週間で最も重要な礼拝が11:30より行われるそうでその前に入ります。現在祈っている人はその時間に仕事か何かで祈れない人達。

内部に貼ってあるタイルが青なので外国人はブルー・モスクと呼ぶそうです。通常4本の尖塔(ミナレット)をモスクは持ちますがここだけは世界で唯一6本だそうです。内部はイズミックタイルが綺麗です。というか内部でかい。

大きすぎ。

次は隣にあるアヤソフィアに向かいます。隣と行ってもこれだけ大きい建物だと結構歩く。外から見ると普通のモスクですね。

1054年にキリスト教がカトリックと、ギリシア正教会に別れた舞台です。西暦360年にローマ皇帝のコンスタンティヌス2世によって建造。その後、壊されたりして結構大変だった模様。1453年に東ローマ帝国がオスマン・トルコに征服され首都のコンスタンチノープルがイスタンブールと改名され、現在に至ります。確かこのへんの話は昔々、高校生頃のときに塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」を読んだのだが全然覚えてません。困ったものです。その後はイスラム教のモスクとして十字架が三日月になり、4本の尖塔が作られました。
アヤソフィアの一番のみどころはモザイク画です。オスマン・トルコによってモスクに変わったアヤソフィアは偶像崇拝を禁止するというイスラム教の教義に従い、大聖堂時代の内部のモザイク画は漆喰で塗り固められてしまいました。ということで漆喰を剥がすとその下からキリスト教時代のモザイク画が出てきます。
入る直前にある聖母子にアヤソフィアを献上するモザイク。

二階部分にあるモザイク画。

造った時の設計が間違っていたようで実はこの建物は少し曲がっています。窓も実は偽者の窓があったりします。建物が崩壊しないように(トルコは地震国ですから)、補強工事もしてます。

こちらもモザイク画

オスマン・トルコが征服した後はモスクとなってますので正面にはスルタンが祈るところがあります。イスラム教的には聖地メッカの場所(イスタンブールからは南東)が重要ですので祈るところは南東を向いています。それは建物の正面とは微妙にずれています。

真ん中の留め金の左右は十字架でした。

その後はバスに乗って昼食。シシケバブを食べます。シシは串に刺さったと言う意味です。

食事中に雨が。午後は雨の中トプカピ宮殿へ向かいます。ここはオスマン帝国の君主が居住した宮殿。こちらが入口の門。中は4つに分かれていて、それぞれ第一の庭、第二の庭・・・と呼ばれます。第三と第四が君主が歩いていたところです。

1時間半の自由行動です。まずはハーレムに入ります。ハーレムの語源はこの辺りだろうか、よく分かりません。

スルタンの謁見室。

第四の庭の外はすぐにボスフォラス海峡。そして城壁が見えます。

どういう経路で来たのか分からないが日本の伊万里焼。

雨が降っているため何ももってきていない人は苦労しています。我が家はなぜか合羽を持ってきていますので合羽を着ます。周りの日本人も引いていました。我が家はそういう旅に慣れていますから。こちらは第一の庭

外に出たときは既に夕方です。イスタンブールの城壁もライト・アップされています。全長は相当長いらしいけど。

その後は地下宮殿へ。もともとは貯水槽です。イスタンブールで二番目に大きいところです。柱は336本だそうです。柱は統一されていません。あるものはコリント式、あるものはなんとか式。要は貯水槽にしていたため形はどうでも良いとのこと。

今は観光地化されています。奥のほうの柱には横になったメドゥーサの首がありますが、まあ特別な意味はないらしい。

こちらのメドゥーサは逆さまになってます。

夜は自由行動。6時にホテルに戻る途中、何とか塔で降りたい人は降りて、それ以外はホテルへ。雨が降っていたので我が家はヒルトンへ帰ります。そして食料の調達に歩いて5分のタクシム広場へ。繁華街です。ここで地元のレストランへ突入。メニューは分からないから指で指して調理済みのを選べるところにしました。

トルコ人は良い人でぼってきません。それは田舎の日本人向けのお土産屋だけのようです。親日の人が多いって本当だな。前の人が取ったのと全く同じものを食べました。

奥さんは頑張って自分で指差して注文を決定。

二人でこれだけ食べて最後にチャイを飲んで27リラ。1600円ほど。イスタンブールの物価は高い。広場には焼き栗の屋台が出てます。買ってみました。広場を警備している警察も日本人?と聞いてきます。別に便宜を図ってくれるわけでもないが。他の人はダンスショーとか高級中華を食べたようですが、やはり地元に突入しないと駄目ですね。

2009/01/01

アンカラ経由で

今日はカッパドキアを出発し、バスでアンカラへ。その後は国内線でイスタンブールに戻ります。





昨晩はホテル到着後、部屋でテレビを見たら(高級ホテルゆえ日本のテレビが入る)、紅白が流れていた。ヨーロッパ時間に合わせていたようで11時に新年となる番組表。年の瀬ですなあ。ジェロの歌を初めて聴いた。お母さんの心から歌っての言葉と最後に泣いていたジェロに私ももらい泣き。知らない歌手ばかりで日本が遠いことにまた泣く。実際はそこまででもないけど。今日はバスでアンカラへ。トルコの首都です。途中でご来光を撮影するためにバスから降りる。いったいどこで年を越しているんだか。

外は-20度です。寒すぎでしょう。地吹雪で視界が全くないときもあり相当怖い。でも運転手もプロですからね。

3時間くらい乗ったらアンカラに着きました。アンカラは首都です。人口300万程度ですが元は農村だそうです。

トルコの国父アタチュルクの霊廟を見ます。多分、アンカラには見るものがあまりないと推測される。

正式にはムスタフ・ケマルという人のようです。ベリュカンさんによると彼は結婚はしたが子供はいなく、そのため死後、まさに神様扱いということで大変立派な人となっています。どこでもそうだが、国に歴史あり。

そういえばカッパドキアで見学した普通の人の家にも写真があったな。人が少ない。国が国威掲揚に作っただけあってすごくつまらない。次はアナトリア考古学博物館へ。

旧石器時代からローマ時代にかけての遺物を展示してます。特にヒッタイト時代のコレクションが素晴らしいです。

回廊の中央ホールに展示されたスフィンクスや牛、鹿などの動物をかたどった見事な石像やレリーフが鉄の帝国と呼ばれたヒッタイト時代です。


地母神です。


お昼ごはんはアンカラ中央駅の構内にある古いトルコが残っているレストランです。

トルコ料理は結構おいしいのではないかと。

アンカラ空港へ移動し国内線に乗ります。郵便局を見つけたので手紙を出します。イスタンブールからずっとバスの運転をしてきたセラミさんとはここでお別れ。彼はバスで6時間かけてイスタンブールに戻るそうです。ちなみにバスには晴れるようにと照る照る坊主が吊るしてあったのですが、このセラミ氏、照る照る坊主を何かの首吊りの処刑か何かと思ったらしく、はじめの数日は我々が何かその手の人たちかと疑っていたようです。国際交流は難しいわけですね。

4:00国内線に乗りイスタンブールへ。1時間のフライト。バスだと6時間かかるところを国内線で移動とは高級ツアー旅行ですな。イスタンブールのヒルトンへ帰ってきました。ベリュカンさんは飛んでイスタンブールとか言ってましたが、私は世代的に分かりませぬ。
イスタンブールのヒルトンは前回も泊まっているためそこでの晩ご飯はさけて今回は魚料理のレストランへ行きます。黒鯛を食べました。結構魚はおいしかった。

イスタンブールでは伸びるアイスが有名だそうで。