2009/01/02

イスタンブール観光

イスタンブール市内観光。ホテルを9時出発。旧市街地を周ります。



まずはグランド・バザールへ。観光客がお土産を買いに来る所です。それはどう考えてもぼったくりの世界なわけで。こんなところで買う訳にはいかない。一時間の自由時間はバザールの中を見学します。途中で会ったサウナ夫婦にどうですか?カモられてますか?と聞いたら冷やかし冷やかしと言っていた。中々まともな人のようだ。でも良いパパ一家は子供の帽子とか数品買っていた。お疲れ様です。我が家はカッパドキアで買った6個セットのグラスがどのくらいで売られているかをチェック。よく分からないがバザール内のほうが高い目だ。でも値切ったらどうなるか分からないからな。

次はブルー・モスクへ。正式名称はスルタン・アフメット・ジャミイ。オスマントルコ帝国第14代皇帝によって1609年から1616年にかけて建造されたモスク。イスラム教の教会です。無料で入れますが、現在も使われているので観光客は脇から。

今日は金曜日ですので一週間で最も重要な礼拝が11:30より行われるそうでその前に入ります。現在祈っている人はその時間に仕事か何かで祈れない人達。

内部に貼ってあるタイルが青なので外国人はブルー・モスクと呼ぶそうです。通常4本の尖塔(ミナレット)をモスクは持ちますがここだけは世界で唯一6本だそうです。内部はイズミックタイルが綺麗です。というか内部でかい。

大きすぎ。

次は隣にあるアヤソフィアに向かいます。隣と行ってもこれだけ大きい建物だと結構歩く。外から見ると普通のモスクですね。

1054年にキリスト教がカトリックと、ギリシア正教会に別れた舞台です。西暦360年にローマ皇帝のコンスタンティヌス2世によって建造。その後、壊されたりして結構大変だった模様。1453年に東ローマ帝国がオスマン・トルコに征服され首都のコンスタンチノープルがイスタンブールと改名され、現在に至ります。確かこのへんの話は昔々、高校生頃のときに塩野七生「コンスタンティノープルの陥落」を読んだのだが全然覚えてません。困ったものです。その後はイスラム教のモスクとして十字架が三日月になり、4本の尖塔が作られました。
アヤソフィアの一番のみどころはモザイク画です。オスマン・トルコによってモスクに変わったアヤソフィアは偶像崇拝を禁止するというイスラム教の教義に従い、大聖堂時代の内部のモザイク画は漆喰で塗り固められてしまいました。ということで漆喰を剥がすとその下からキリスト教時代のモザイク画が出てきます。
入る直前にある聖母子にアヤソフィアを献上するモザイク。

二階部分にあるモザイク画。

造った時の設計が間違っていたようで実はこの建物は少し曲がっています。窓も実は偽者の窓があったりします。建物が崩壊しないように(トルコは地震国ですから)、補強工事もしてます。

こちらもモザイク画

オスマン・トルコが征服した後はモスクとなってますので正面にはスルタンが祈るところがあります。イスラム教的には聖地メッカの場所(イスタンブールからは南東)が重要ですので祈るところは南東を向いています。それは建物の正面とは微妙にずれています。

真ん中の留め金の左右は十字架でした。

その後はバスに乗って昼食。シシケバブを食べます。シシは串に刺さったと言う意味です。

食事中に雨が。午後は雨の中トプカピ宮殿へ向かいます。ここはオスマン帝国の君主が居住した宮殿。こちらが入口の門。中は4つに分かれていて、それぞれ第一の庭、第二の庭・・・と呼ばれます。第三と第四が君主が歩いていたところです。

1時間半の自由行動です。まずはハーレムに入ります。ハーレムの語源はこの辺りだろうか、よく分かりません。

スルタンの謁見室。

第四の庭の外はすぐにボスフォラス海峡。そして城壁が見えます。

どういう経路で来たのか分からないが日本の伊万里焼。

雨が降っているため何ももってきていない人は苦労しています。我が家はなぜか合羽を持ってきていますので合羽を着ます。周りの日本人も引いていました。我が家はそういう旅に慣れていますから。こちらは第一の庭

外に出たときは既に夕方です。イスタンブールの城壁もライト・アップされています。全長は相当長いらしいけど。

その後は地下宮殿へ。もともとは貯水槽です。イスタンブールで二番目に大きいところです。柱は336本だそうです。柱は統一されていません。あるものはコリント式、あるものはなんとか式。要は貯水槽にしていたため形はどうでも良いとのこと。

今は観光地化されています。奥のほうの柱には横になったメドゥーサの首がありますが、まあ特別な意味はないらしい。

こちらのメドゥーサは逆さまになってます。

夜は自由行動。6時にホテルに戻る途中、何とか塔で降りたい人は降りて、それ以外はホテルへ。雨が降っていたので我が家はヒルトンへ帰ります。そして食料の調達に歩いて5分のタクシム広場へ。繁華街です。ここで地元のレストランへ突入。メニューは分からないから指で指して調理済みのを選べるところにしました。

トルコ人は良い人でぼってきません。それは田舎の日本人向けのお土産屋だけのようです。親日の人が多いって本当だな。前の人が取ったのと全く同じものを食べました。

奥さんは頑張って自分で指差して注文を決定。

二人でこれだけ食べて最後にチャイを飲んで27リラ。1600円ほど。イスタンブールの物価は高い。広場には焼き栗の屋台が出てます。買ってみました。広場を警備している警察も日本人?と聞いてきます。別に便宜を図ってくれるわけでもないが。他の人はダンスショーとか高級中華を食べたようですが、やはり地元に突入しないと駄目ですね。